つらつら

今年のフェスも残すところあと一本。なんだか気がついたら夏も半ばを過ぎていた。8月はいろいろとやることが多かったけど、だんだん落ち着いてきて、今は穏やかな時間が流れている。忙しい間は何も考えなくていいから楽だ。体を動かして、目の前にある問題にだけ取り組んでいればいい。毎日が忙しいほど気持ちは穏やかになり、毎日が穏やかであるほど気持ちは忙しい。いつもこの境目の時期は、どちらに身を預けたらいいのかわからなくなり、心身ともに挙動がぎこちなくなる。あれだけ待ち望んでいた穏やかな休日とはいったいどういったものだったのかわからなくなる。予定が立て続けに入るとなんだか嫌な気分になるが、よくよく考えると予定がなかったところで何もすることがない。何も起こらなければいいと思う。とびきり嫌なことも、とびきりいいことも。ただコンクリートの壁に囲まれたせまい空間で緩慢に日が暮れていけばいいと思う。均一なほうが心地いい。なだらかなほうが気持ちいい。

昨日はじんくんと話をした。彼のいい意味で愚直なギターキッズ感は素直に尊敬する。それでいてとてつもなくクレバーだし、刺激を受けることが沢山ある。めちゃかっこいいギターを紹介してもらった。ありがてえ。

この間でたFrank Oceanの新譜ばっかり聴いてる。この繊細なニュアンスはどこから生まれてきたんだろう。音楽に対して、ひいてはあらゆる創作物に対して、作者と作品は分けて考えるべきだと感じる人は少なくないらしいが、個人的には誰が作ったのか想い馳せるところも含めて音楽だと感じている。そのほうが楽しいから。たとえどんなに美しい音楽でも作者の人格が気に入らなければ音楽そのものの評価まで下がってしまうという危険性は理解出来る。だけど迂闊に踏み入って壊れてしまう幻想も含めて音楽ではないだろうか。リスクがあったほうが面白い。面倒なものほど面白い。ダイナミズムがあるほど面白い。ほんの少し前に真逆のことを言ってたことさえ忘れるくらい音楽は面白い。

怒りも悲しみも忘れてしまえるのはありがたいな。ありがたいな。もし仮に生まれた瞬間の分娩室から記憶がはっきり残ってるとして、いつでもどこでも何でも思い出してしまうとして、はたして明るい思い出は暗い思い出に勝つことができるだろうか。渋谷や新宿の雑踏でみんなの話す声がひとつひとつはっきり聞こえてしまったら、その騒がしさに泣かないでいられるだろうか。古い記憶から順番に忘れていくのはいきものの可愛さと強さであって、神様がそれを初期機能として実装してくれたのだとしたら、結構優しいと思う。ありがたいな。

今週末のフェスも楽しめるといいな。もっと何でも面白がれるようになりたい。遠くへ行きたい。