picnic

高校を卒業して故郷から出る前日の深夜、部屋の壁掛け時計が完全に停止したのを思い出した。電池切れなのか故障なのかは定かではないが、それまで18年間生きてきて一度も起こらなかったイベントが、まさかそんなタイミングでくるものなのか、ちょっと出来過ぎではないかと笑ったのを憶えている。1時25分。あそこで自分の何らかの人生が終わったのだと考えるのは、少し安易すぎる気もするがどうか。

太古の昔のロックンロールには自らの寿命を27歳に設定せねばならないというドグマがあって、社会性のない若者を拐かしていたのだけど、自分がその年齢になっても毎日はなんとなく続いていくので、そういうしわしわの時代は終わったらしい。吉田聡の描くヤンキー漫画のように、青春に区切りをつけてきっちり終わらせるような物語は信頼できるが、風呂敷を畳むのを放棄すれば読者は路頭に迷ってしまう。幻想の中に人を閉じ込めてはいけない。ぼんやり疲れる社会の中で、どうやって物語を終わらせて、どうやって後ろに引き継いでいくか。そういうのは大事にしたい。

今年に入ってから、幸運にもずっと会いたかった人と立て続けに会える機会があって、人生における伏線を怒涛の勢いで回収しているような気分になっている。別にスタンプラリーをやってるわけではないけれど、今までの人生の要約として目の前に現れてくれることが嬉しい。FF10のティーダはザナルカンドにて自分の出自を確認したところで回想を終えて、そのあとようやくこれからの話を始めるのだけど、いろいろと伏線を回収した今、僕もこれからの話をしていかなきゃいけないんだなーと思いました。