SWITCH

9月にあたらしいシングルが発売される。毎度毎度言ってることだけど凄くいい曲。3曲とも。カップリングという性質上仕方がないんだけど、人の耳に届く機会が少ない場所に曲を納めるのはいつも心苦しい。「カップリングだから」という前提のもと曲を作ってしまうと気が抜けたものにしかならないような気がするので、作っている最中は何も考えていない。

仕事が終わって、家に帰ってきて、ポケットに詰め込んだ財布やら鍵やらスマホやらを机の上に放り出して、冷蔵庫を開いてみると水しか入ってない。部屋と精神はシンメトリーだと思っていたが、冷蔵庫と精神のほうがしっくりくるかもしれない。自分に必要なもの、必要じゃないもの、誰かのためのもの、誰かのもの。生きるために必要最低限のものしか入ってないウチの冷蔵庫はやっぱりつまらないが、それは自分自身がつまらない生活を送っていることとほぼ同義。料理でも嗜み始めたら豊かになるだろうか。結局3日と待たずに飽きてしまい買い込んだ食材を腐らせるだけのような気もする。

別に隠しておくようなことでもない気がしてきたので書くけど、自分は鬱を煩っていたことがあって、その間は最低な生活を送ることが多かった。そして今尚たまにあのときの気分を思い出すことがある。時間のながれるスピードが死ぬほど早くなって、気がついたら半袖じゃ暮らせない気候になってたり、近所のスーパーに行く決心をしてから帰ってくるまで1時間くらいかかったり、1日20時間くらい寝てたり。

「人生とはいったいなんなんだろう」と考えることがこの期に及んで尽きない。よく頭に浮かぶのは直列に繋がれた無数のソケットに電球をはめ込んでいくようなイメージ。割れて壊れそうなものをひたすら所定の位置にはめ込んで行くだけのルーチンワークの中、スイッチの01を切り替えることでそれがピカピカ光ったり消えたりする。現在が過去の集約による結果だとすると、今ここにいる自分はただのスイッチであり、過去を肯定するか、否定するかによって切り替わる。目に映るもの全てに意味を感じる日と、無駄な時間を過ごしてきたようにしか感じられない日を何度も反復しながら、耕耘機みたいにせっせと電球をはめ込んで行く。

昔ほど気に入らないものに対して熱烈に怒り狂ったり、先が見えないことに対して不安になったりすることも少なくなったけど、そのぶんずっとクリアにその先が見えるようになった。明日も生きてるとは限らないもんなー楽しんだもん勝ちだよなーと思いつつ、こんなもんに何の意味があるんじゃいと愚痴をこぼしつつ、今日も電球はめてます。