野暮

こういうの書くの野暮かな、とか思ったりもしたけど、他に何も手がつかないし、気持ちに整理をつける為にもやっぱり書きたいと思う。

wowakaさんと出会ったのは10年くらい前のニコニコ動画だった。当時の自分からすると今まで聴いたことのない鮮烈な音楽を作る人だった。恐らく誰しもそう感じてたと思う。ほとんど同じ時期に投稿し始めたこともあって、彼にだけは負けたくないと勝手にライバル視していた。それ以上に尊敬していたし、多大な影響を受けた。ワールズエンド・ダンスホールを初めて聴いた時は衝撃で飯が食えなくなった。即売会のイベントで実際に顔を合わせてからは、お互いシャイだからそう言葉数は多くなかったけれど、ああでもないこうでもないと音楽の話をしていたのを憶えている。

そのうちお互いがやっぱり同じくらいのタイミングでボカロから一旦離れて、自分の声で歌うようになった。彼はヒトリエというバンドを組み(最初はひとりアトリエという名前だった)、僕は一人でやることを選んだ。同じような境遇の人間が他にいなくて不安だったのもあり、たまに二人で飲みに行ってはだらだらくだらない話をした。一緒にフェスへ遊びに行ったとき、持ってる財布が同じデザインであることが発覚して気味悪がったり、雑誌の対談で色違いの同じ靴を履いてるのが発覚して爆笑したり、何かと気があうというか、見てる景色に似てる部分があった。

年を重ねるごとに飲みに行く頻度が加速していき、最近は週二、三で飲んだりしてて、結局同じ話の繰り返しでもう喋ることもないのに静かにお酒を飲んだ。LAMP IN TERRENの大ちゃんと3人でそれをチルモードと呼んで楽しんでいた。僕がしょうもない話をすると顔をくちゃくちゃにして笑ってくれるので、進んでしょうもない人間になろうと努めた。するとたまにマジで嫌な顔するので、申し訳ねえなと思いつつ、それはそれで結構愛おしかった。酔っ払って寝始めると梃子でも動かなくなり、誘導してタクシーにぶち込むまでが彼と飲むときの様式美。それもそれで結構楽しかった。気持ち良さそうに寝てるその姿を写真に撮り溜めてて、いつか本人に1から100までその時の状況を解説しながら全部披露してやろうと思ってた。それがもう不可能になったことに実感が湧かない。

なんとかできなかったのかな、と今も考える。恐らくこれからずっと考え続ける気がする。ハチくーんっつってそこの扉から入ってきてほしいと今でも思ってる。彼はその音楽性と同じように、他の人間より何倍も速いスピードで生きている人だった。基本的な人生のBPMが違う感じがした。音楽をそっくりそのまま体現してる人だったんだろうな。

僕にとって彼はライバルであり、親友であり、どこか兄のようでもあった。でも亡くした。今は虚しいけど、それも時間が攫って行くんだろうなと思う。

残されたヒトリエのメンバー、スタッフ、親族の方々、wowakaさんを愛してた人たちの心痛は計り知れません。各々が各々の立場で、つかない折り合いを抱えながら生活して行かなきゃいけないですね。とりあえず僕は、なるたけ今までとおんなじように生きていこうと思います。結局免許取りに行けなかったし海にも行けなかったですね。一緒にいて楽しかったですよ。ばいばいまたのんましょーね。