あめのひ

雨が降っている。大雨にはしゃぐ子供みたいに二羽のカラスが飛んでる。気付けのコーヒーのような気の利いたものは家に備わっていないので、なんとなくソファの上でまどろむ。家の中で雨が窓を叩く音を聴くのが好きだ。人間としての機能が鈍っていても許される気がするから。交通機関が混乱しているニュースを目にしたのを最後に、鈍痛がする頭の重みに身を任せて、深く沈み込むように目を閉じる。心身ともに疲れているときは眠るに限る。必要なあれこれをなんもかんも後回しにして、願わくば目覚めたら小人が全て仕立てあげてくれていることを期待しながら眠る。

瞼の中でいろいろなことを想像する。ディズニー映画「ヘラクレス」を思い出す。ラストシーン、ヘラクレスとメグはあの後人間界でどういう生活を送るのだろうか?ヘラクレスは少なくともあの父親のいる神様の世界で生きるより幸福だろう(死の概念が存在しない「神様の世界で生きる」というのは語義矛盾かもしれない)。優れた映画を見ているとき、切り替わるカットの間で省略された世界において、または緞帳が下りたラストシーンの向こう側で、登場人物たちは何を見て何を考えて何を言葉にしているのか、気になって仕方がなくなるときがある。そういうときは映画の本筋はそっちのけになり、「この映画面白かったけどあんまり憶えてない」という結果が残ってしまい、一緒に観に行った人間に不可解なものを見るような目で見られてしまう。

イメージは無限だと人はいう。好きな漫画にも書いてありました。瞼の中で心地よい世界を想像するためにイメージを取捨選択する。誰も傷つくことのない楽しい世界を想像する。なんか全部面倒くせえ毎日から逃げるようにして夢を見る。美しいイメージだけで構築された夢は、自分の意識が届かない領域に下りていき、いずれ自分の手綱から外れて身勝手な方向へと進んで行く。ハッピーだったイメージはどんどん雲行きが怪しくなっていき、どんどん血生臭い展開に侵食されていき、やがて最悪の結果に辿り着きそうになってしまうので、自らコンクリートに頭を打ち付けるようにして目を覚ます。

雨が降っている。カラスは見当たらない。夢の中にも居場所がないことに諦めをおぼえて、しぶしぶ面倒な生活を始める。だいたい毎日そんな感じ。