スランプ

何年も音楽を作り続けてきたけど、頻繁にその作り方がわからなくなる。なんか違うんだよなあと首を傾げながら以前と同じ手順で作ってみても、いよいよどこにもしっくりいくポイントが見つからずに、結局作りかけの曲をぐちゃぐちゃに丸めて破棄する。何かを変えなければいけないのはわかっているんだけど、その原因を見定めるための教養と体力が足りてない。こういうのを俗にスランプと呼ぶんでしょう、まあそんなんにハマってる自分にムカついてくることもあるんだけど、より良い瞬間へ向かうための必要な手順だと思って溜飲を下げている。そんで粛々と日々を生きる。

音楽に大事なのは編集だと、ここ最近強く思う。プリミティブであれ、衝動的であれ、という「ありのまま主義」というか、そういうのに僕はずっと懐疑的な立場でいて、あまり面白いものでもない気がずっとしていて、自分自身なぜそう思うのだろう?とよく考える。音楽は非常識でグロテスクなエゴや矛盾を、音楽という手段を経由して表現することが許されていて、そういう未分化の下層から、常識的な表層へと飛び出していく、その距離こそがエモーショナルへと変わるわけで、そういう意味では「プリミティブであれ」は部分的に正しいと言える。ただ、そういうありのままを推奨する空気の中に、技術への不信感というか、体裁を整える能力を軽視してるんじゃないか、と思えるようなものが見え隠れするときがあって、これがどうも居心地が悪い。果たしてまっことありのままで、何も身に纏わずにすっぽんぽんで舞台に上がって面白いだろうか?暴力的なことを言えばすなわち毒舌だと勘違いしてる人みたいに、原始的で生理的なものをそのまま皿に乗せたところで料理にはならない。素材に対して様々な形で編集する自由があり、食えなかったものが食えるようになる、その編集の技術を通して感動を覚えるのであって、ありのままのドロドロの状態「そのもの」が本当に美しいのだろうか。ありのままであることをそのまま許してしまうと喧嘩が起きてみんな泣いちゃうから、みっともない自分と向き合い、それがどういうことなのか考える必要があるんじゃないか。

そういうことを考えているうちに、色々と滞ってる。スランプ。粛々と音楽を作ります。すいません。