パイナップル

去年の暮れ頃にオフィシャルHPが新しくなった。以前のHPは僕が完全に独りきりで慣れないタグ打ちに翻弄されながら作ったんだけど、今回は委託して作ってもらった。とても気に入っている。考えてみると、以前のHPはdioramaが発売される前からあの形だった気がするので、恐らく3年以上使い続けたはず。長いこと使ってたなあとか、そもそもdioramaがそんなに昔なのかとか、僕はリイシューくんをいつまで使い続けるのかとか、色々と思うところが湧いてくる(リイシューくんは一応マスコット的存在で、新HPにもいる。ただ僕の周りの人間からは「気持ち悪い」と不評)。このブログも近日中にHPと統合するつもり。

僕がネットを介して言葉を発信する手段として使っているものの二つにTwitterとブログがある。ただ単純に言葉を発信するだけならいくつも媒体をもつ必要なんてないんだろうけど、そのときの気分や情報の伝え方によって言葉の性質も変わってくるので、曖昧な基準ではあるが一応Twitterとブログを使い分けることにしている。Twitterは賑やかな場所のような気がする。ブログは静かな場所のような気がする。独断と偏見なので共感はされないかもしれないが、何かを言おうとしたとき、喉まで出かかった言葉が「Twitterだ」とか「ブログだ」とか信号を飛ばし、それに追従する形でキーボードをポチポチ打っている気分がある。言葉がジョッキーで自分は馬。「人間の本質は言葉である」と、なんかすごい人が言ってたのを思い出す。

本当に言葉にしたくないことが自分の中にはいくつもある。けっきょく言葉にするという作業は言葉にならなかった襞を捨てることでもあるので、感情を言葉にした瞬間に、言葉にならなかった部分はジャガイモの皮や芽のように捨てられてしまう。そうやって捨てていった部分が一体いくつあって、それによって死んでしまった感情や感覚が一体いくつあるだろう?今更考えてわかるはずもないが、言葉にすればするたびに、歌詞を書けば書くたびに、ゴミ箱に捨てられた必要のない部分がどこか後ろめたく異臭を放ち始めるような気がしてならない。だから本当に自分にとって重要なことは言葉にも歌詞にもしたくない。こうやって本当に重要なことについて間接的に接触する言葉ですらできれば言葉にしたくない。

新しいシングルが今週発売になる。いい曲を作れたと思う。今年もいい年になればいい。