ライブ

アルバムを世に出してからおよそ2ヶ月経った。夏の盛りは過ぎ、北のほうでは雪虫を見かけるようになったという。iPhoneのスケジュールアプリを開くと、本来延期開催されるはずだったライブの日程が、選ぶことのできない選択肢みたいに薄い灰色で記載されている。来たる11日と12日は北海道に赴く予定だったが、その準備に追われることもなく自室でぼんやりしている。

新型コロナウィルスの氾濫により、開催中だったライブツアーは完走を待たず中止になった。新曲を演奏するはずの新たなツアーも、時期を定めることが出来ずに凍結状態にある。アルバムの発売タイミングでライブツアーを行わなかったのはdiorama以来かもしれない。あの頃はそもそもライブ演奏自体に懐疑的で、音源として世に出したものをわざわざもう一度構築し直す必要性を感じていなかった。興味の幅は狭く、小ぢんまりとした日常の中に埋没していくことが一番の幸福だと疑っていなかった。

後にそれでは生活は続いていかないと気づいて以来、蛸壺化した部屋で自意識に淫する日々から抜け出す為に、半ば無理やりに重い腰を上げ始めたのだけど、そのうちの大きな一つがライブだった。初めの頃は身体の可動範囲の狭さに自失し、鏡を前に針の筵で踊り続けるような日々が続いたものだが、何年も続けていくうちに可動範囲は徐々に広がり、自分の音楽を聴くために会場へと赴いてくれた人たちへと応えられるようになってきた。いまだに至らなさや苦痛は感じるものの、それ含めて幸福な時間に他ならない。

自粛期間中の外出もままならなかった数ヶ月間を思い返してみると、わたしはあの期間に酒をほとんど飲まずに過ごした。狭い密室で友人たちと遅くまで飲み明かすのが唯一趣味らしい趣味だったのが、自由な外出という機会を奪われただけでその欲求まで減退し、「なくなるならそれはそれで」と思ってしまっている自分を発見した。以前に比べると比較的外出が可能になった今でこそ、飲酒は自らの一部として復活したけれど、あの状態が続いていたらどうなっていただろうか。

20代前半の自分なら、自身の活動からライブがなくなるならそれはそれでかまわないと言っただろう。そうやって自らに言い聞かせるように様々な機会を見過ごし損失してきたからこそ、自室は蛸壺化し、目の前のデスクトップこそが音楽の発露だと信じて疑えなかったのだと思う。今わたしはライブツアーが行えないことを心底残念に感じる。生まれてきたアルバムが音源からはみ出して、何か全く別のものとして再定義されるあの瞬間こそが、翻ってデスクトップから流れる音源にまで影響を及ぼし、制作に多大なる変化を与えていたことを痛感する。

結局わたしは依然として狭い自室で画面を前に音楽を作っている。しかしあの頃と明確に違うのは、せっかく手にした新しい興味を、それはそれでと手放してしまう恐ろしさを抱いているところだ。自分にとって必要だと感じているものや、価値があると認識しているものでも、接続する機会を奪われ続けると、思ったより簡単に目に見えなくなってしまう。生活習慣の変化ひとつでなくなりかけた大事なものを目の前にしたときに、あるいは自分にとって飲酒とライブの重みは大きく違うかもしれないが、その境目がどこにあるのかなんてわからない。

自分の中で「STRAY SHEEP」はまだ終わっていないのではないかとどこかで感じている。その気分を引き連れながら次を作るのが、音楽に誠実な態度なのかどうかまだ判断はつかないが、今の自分にしか作れないものがあるはずだと信じていたい。