深夜にはなんとなく許しの空気があって、それが好きでよく夜更かしをする。コンビニや飲み屋には気だるさが漂っていて、客にも店員にもほとんど温度がない。社会の機能が鈍り、スロウになった歯車の隙間をするりと通り抜けて、どっかの知らない校庭に忍び込み、夜露で濡れた芝生にケツを濡らしながらぼんやりする。デタラメな言葉も怠惰もそこでは全部輪郭がぼやけていて、今まで呼吸が浅かったことにようやく気づける感じ。自由ってのは基本的に何かと何かの隙間にしかないもので、岩の裏に住む日陰のダンゴムシにとって、歯車が正常に機能し始めるまでのわずかな深夜の隙間だけが、外に這い出すことを許されるフィーバータイム。だもんで、深夜は詞を書くのが捗ります。
自分の弱さを言葉にして切り売りするわたしにとって、明るい陽の下で詞を書くのはだるすぎる。ニコニコするのにもMPは使う。何かにつけて許されていないと声も出せないことをよく知っている。その昔、周りの人間たちの放つ言葉がどういう意味なのかさっぱりわからなくて、なんとなく曖昧に笑ってばかりいたら「きみは笑ってばかりだね」と言われたことを憶えている。あのころからどっか見よう見まねで生きている感覚が根底にあって、はたして自分は許されているのかいないのか、そういう端から見れば瑣末な、しかし当人にとっては重大な問題を紐解いていくことに夢中だった。
わたしは今まで自分が作った音楽を通してたくさんの人から言葉をもらった。良いも悪いも珠玉も怨嗟も色とりどりで、それによって今の自分があり、そのすべてに感謝の気持ちがある。しかしその奥のほうには、何一つ言葉を持たないやつがいることをわたしは知っている。「僕は苦しいです」「あなたが好きです」と表明するだけの言葉すら持つことを許されていない人間がいることを知っている。今はそういうやつにこそ音楽を届けたい。きっと大丈夫だと言ってやりたい。世の中そんな大したもんじゃないと教えてやりたい。わたしだってここまでこれたもの。
静かな隙間で音楽を聴いていた記憶が今なお自分を定義づけている。音楽がきっと許してくれる。大丈夫、大丈夫、大丈夫。