部活とバンドとラグナロクオンラインが生活の中心だった頃からもうすぐ12年が経とうとしてることに気づき、加速度的に1年が圧縮されていることにビビる。あの頃に比べると様々なことが上手くできるようになったと思うけど、その中でも別に上手くできなくていいことがいくつあるのか数えてみようとして、不毛だからやめる。作業中に部屋の掃除をしてしまうような、引越しの荷造り中に卒業アルバムを読みふけってしまうような人間の弱さそのものを前にして、これは生産的な瞬間のための前屈運動だと言えてしまうくらいには言い訳が上手くなった。ゲフェンダンジョンでポイズンスポアをライン工のように延々と殴り倒してた中学生が、紆余曲折を経て今の自分にたどり着くのが不思議な気もするし、これ以上ないくらい妥当な気もする。
あの頃の自分にとって、ウルトラマンや仮面ライダーみたいに兎に角かっこいい憧れのヒーローがインターネットの中にいたことを思い出し、今は何をやってるのか調べてみた。ハンドルネームは変わっていたが探せば案外たどり着くもので、彼は今でもインターネットの中にいて、twitterで取り留めのないことを書き記していた。謎の感慨深さやセンチメンタルもあったが、一通り彼の2016年を垣間見た上で感じたのは、12年間という真っさらな期間を隔てておいて、当時と同じ顔で出迎えてくれと要求するのはあまりにも無責任なことだな、ということ。そういうもんだよな、という感じ。僕は「そういうもんだよな」という感想をよくこぼすが、まるで当事者であることを放棄したような言い方だな、と自分で思う。
新陳代謝を繰り返し古い細胞はゆっくり朽ちていく。いつから父親に喧嘩で勝てるようになったのだろうか。自分だけがそのサイクルから逃げ果せられるわけじゃないことはよくわかっているけど、あるいはわかっているからこそ思い出してしまい、確かめようとしてしまう。時間の重さを、思い出との距離を。不可逆なものを追い求めても意味がないことなんてわかりきってるのに、それでも引っ張り出してきてしまう。スーパーで買ってきたサンマを水槽に浮かべてみたところで白い腹を見せてぴくりともしないのをみて、やっぱり違いましたね、なんて言いつつお茶を濁す。何かが満たされない自分がいることをわかっていて、満たされない限りずっと繰り返してしまうことをわかっていて、なお抗いようがないことに対して、そういうもんだよなと思う。
今の自分も誰かにとってのヒーローになっているとして、いつかは同じようにゆっくり朽ちていくとして。散々無駄に過ごした時間の重さを量り、過ぎ去ってしまった思い出との距離を測り、培った感覚を元に向こうの方にいる誰かへとボールを投げる。このボールがわたしの方へと飛んできたという人がいたら、無視してくれてもかまいませんが、できることならどうか受け止めてやってください。