酩酊

年内の作業がひと段落してふーっと息を吐く。年始に必要なあれこれをとりあえず存在しないことにしていまこれを書いている。今年はどんな年だったか、ぱっと振り返ってみるだけでいくつかポロポロと楽しかった記憶がこぼれることに対して、ありがてえとジジイみたいに思う。自分の人生のタイムラインを振り返った時に、真っ白または真っ黒の期間がいくつか存在する。この期間は何をなされていたんですかと面接官に尋ねられたら、およそ社会的な人間の機能を停止させておりましたと答えるしかないような、ざんない記憶でいっぱいな期間。ジジイみたいな安堵も漏れるってもんです。息を吸ったり吐いたりして、ビードロみたいにベコベコ小気味のいい音を出してるうちに、それなりの充足感と一緒に一年が終わりました。来年は酉年らしい。

子供の頃は自分の様子が他人と違うことをすごく気にしていて、時に恐ろしいなとまで思っていたので、常に周りのことを観察して人間とは、、、とか社会とは、、、とかしゃらくせえことばかり考えていたけれど、結局そんなことしても無色透明な自分ばっかり残るだけでむなしいものでした。とはいえそこで死ぬほど観察してわかったこともいくつかあって、お互いがお互いの喋ってることをほとんど理解してないこと、なんかキメてるのかってくらい自分のことを信用してること、知覚している世界から一歩も外に出ようとしないこと。主語は「みんな」だと思う。人間てやっぱり社会的な動物なわけよ。落伍者である自分と社会とで折り合いをつけなければならない中で、あいつらはアホだとか、自分が賢いんだとか、そういう厭世と中二だけじゃ飯は食えなくて、つまり自分自身とバチバチに戦う必要があって、ニヤニヤしながらなんとか生きて来た自分はまあまあ嫌いじゃない。

猥雑であやふやな物事にも名前をつけてしまえばチョロいもんで、忘年会やら花見やら名前をつけて可視化させることによって名分を立ててしまえば酩酊も許される。許されてないと声も出せません。オトンオカンに友達に恋人に環境に生活に社会に小さく小さく許されながら積み重なってできた自分をまた許してやりたいと思う。こんどあったらお酒を飲みましょう。